京橋タウンガイド - 京橋の観光情報[「京橋」の名前の由来]

京橋の観光情報[「京橋」の名前の由来]

京橋の観光情報

「京橋」の名前の由来

京橋はその名の通り、橋の名前で大阪城北側の寝屋川に架かり、京街道の起点でもある。
その名前の由来は、「京に通じる橋」という意味から名づけられたという。
橋が架けられたのは豊臣秀吉の時代といわれ、徳川時代には京橋は天神橋、天満橋などとともに、公儀橋として重要な位置づけにあり、特に京橋は別名天下橋とも呼ばれた。

京橋はその名の通り、橋の名前で大阪城北側の寝屋川に架かり、京街道の起点でもある。その名前の由来は、「京に通じる橋」という意味から名づけられたという。
橋が架けられたのは豊臣秀吉の時代といわれ、徳川時代には京橋は天神橋、天満橋などとともに、公儀橋として重要な位置づけにあり、特に京橋は別名天下橋とも呼ばれた。袂には川魚市場もあり、秋から冬にかけては木綿の市も建ったという。
京橋は大坂夏の陣で消失し、元和9年(1623)徳川幕府によって再架された。ここは京街道(現在の国道一号線)の出発点にあたり、又大坂城の北の玄関口にもあたる重要な地点であった。京橋の由来となった京街道は、豊臣秀吉による淀川左岸の文禄堤の構築(大坂の次の宿場であった守口にその一部が残る)によって成立した大坂と京都を結ぶ幹線で、江戸時代にも幕府公用の主要道路として重視されていた。
現在、京橋といえば「JR京橋駅」や「京阪京橋駅」周辺を中心とした繁華街の地域を表すが、この駅の周辺には京橋を冠した町の名前は存在しない。
この辺りが京橋と呼ばれるのは、1895年(明治28年)に城東線(現環状線)「京橋駅」が開業したことに起因する。現在では上記のJR環状線を初め、学研都市線、東西線、京阪本線、地下鉄鶴見緑地線が乗り入れ、一大ターミナルを形成している。
京橋という地名は、江戸時代にはこの寝屋川にかかる京橋の南詰めから東横堀川に架かる今橋の東詰めまでの間は、京橋1〜6丁目と呼ばれる町名があり、明治以降は京橋1〜3丁目に再編成され、東区の町名として存在した。しかし、1989年(平成元年)東区と南区が中央区に合併した際に、京橋前之町と共に消滅した。由緒ある地名がいと簡単に消え去るのは、残念なことである。

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